八月の里山は深緑 命盛り上がる深緑 from Hioki-san

 去年(2019年)、夏の初めの頃に「あれ?なにか今頃、紅葉してる…?」 咄嗟にはそう思った。緑の中にポツンと茶色が見えたので。

 しかしその前の年、頭高山で見たカシナガ(カシノナガキクイムシ)の食害で枯れた一抱えもあるコナラの姿が頭に浮かんだ。

 

 それがこの夏は軒並み、増えたどころではない。緑の中に点で見えていた被害木が、今は線になろうかという勢いである。日を追うごとに増えていく。散歩しても電車に乗っていても気がつく。

 

この身近な里山はそこに住む人たち(林業や農業を営む人たちが多かったと思う)が、自然を切り開き地形を生かして、暮らしやすく、生産性をあげようと工夫を重ねて手入れを怠らず、子孫に残してきた人為的な環境である。

 

75年前に戦争が終わってから、日本人の暮らし方は激変。昔は自給自足、農業主体であったが、現在の日本の食料自給率は37%。今歩くと荒廃した畑や水田が年々増えるのが目につく。

 

 

更に燃料革命が山林の荒廃をもたらした。カシノナガキクイムシという5ミリ程度のこの甲虫は外来種ではなく在来種だという。

 

以前は、雑木林の木が直径15〜20センチくらいになると次々伐採、これらの材木は燃料の薪や炭になった。萌芽更新されて里山は明るく、鳥も昆虫も種類多く見られたであろう。昔は一抱えもあるコナラは殆ど見られなかったと思う。だから大径木が好みのカシナガも爆発的に増えて悪さをするということはなかっただろう。

 

いま私たちに出来ることは何だろう?と考えると、まず里山、とりわけ雑木林の手入れをして、身近な雑木林を甦らせることではないか。

 

昔の人たちは自然と相談しながら折り合いをつけてきた。待ったなしの防虫対策は欠くことができないが、並行して里山を昔に戻す作業を抜きにすることはできない。

 

見通しよく明るくなった里山は沢山のハイカーや自然観察者を引きつけるだろう。まず足元の里山の手入れをどのように進めるか、みんなで考えたい。

 

秦野市のナラ枯れ被害についてはこちらもどうぞ。